ドラゴンズクラウンの話

 誰にでも「もうゲームは今日限りできっぱりとやめよう」と思って実行したことが一度ぐらいあると思う。ある日思い立ち、ゲームなんて非生産的なことに時間を使う自分のことが嫌になってゲーム機を一式まとめて捨てた友人がいる。そのままやめた友人もいる。いつのまにかまた再開した友人もいる。

 僕もそう考えてゲームから離れた時期があった。誕生日だったので日付がわかる。2012年の6月6日に僕はゲームを一度やめた。

 個人的な事情があってその年は仕事をしておらず無職だった。社内で干されているとかそういう比喩でなく文字通りの無職。無職という状態がどういう心持ちのものなのかは無職を経験したことがないとわからないし、一度無職を経験しても職に就くとだんだん忘れていく。無職のことを思い出そうとするのは昨日見た夢を思い出そうとするのに似ている。でも日々目減りしていく預金残高のことはよく覚えている。この数字がゼロになる前になにかしらの手を打たねばならないということは無職初心者でもすぐに理解できた。

 とにかくなんらかの手段で金を稼がねばならないのだが、計画的に陥った状態ではなかったのでプランがなかった。そういう状況だったこともあり悠長にゲームを楽しんでいる余裕もなかった。余暇というものはまず生活のベースがしっかりしていて、そこから一時的に逃避するためのものなのだ。

 そういう時期がしばらくあり、預金残高も尽きてきたので手持ちの職務経験が活かせる似たような仕事についた。ありがたいことだ。それで一旦の生活基盤は取り戻したわけだが、無職の余熱のようなものが残っていてそのままゲームをやらなくなった。もしかするとゲームに費やしていた無駄な時間が浮いた分、別の有意義な時間が増えて高性能な人間になるかもしれない、というような思いもあった。

 ゲームをやめて、もうゲームをやめたこともあまり意識しなくなったある日、ふとWebでドラゴンズクラウンの広告を見た。

 なにかのサイトの端の方に表示されているバナー広告だったように記憶している。ダンジョンズアンドドラゴンズとかウォーザードを彷彿とさせる世界観のベルトスクロールアクションで三角帽子の魔女がいた。ハンドルネームからもわかるように僕は三角帽子の魔女というものに無条件で反応する。タクティクスオウガのせいで。

 そのときの僕の心境としては、今思い返すとまるで禁煙に失敗した人間のようだが「もうゲームをやる習慣もすっかり抜けたし、一周回ってたまにはイベント感覚で(普段スポーツなんか見ない人間がオリンピックのときだけは騒ぐように)やってみようかしら」というものだった。ドラゴンズクラウンの発売日を今確認すると2013年7月25日だ。発売日に買ってプレイしたのでこれも日付を指定できる。

 そういうわけでおよそ一年ぶりにゲームをやることにした。

 発売日当日、久しぶりにPS3の電源を入れて三角帽子のソーサレスを選んだ……ところから、2日間記憶が飛んでいる。次に気が付いたときは画面に映ったレベル99の魔女の前でコントローラーを握っていた。夜なのに部屋の電気をつけておらず、意識が戻ってきたときには部屋が暗かったことを覚えている。後にも先にもあそこまで集中してゲームをやった記憶はない。

 一年間の禁ゲーム期間がプレイ欲求を圧縮していたのだろうけど異常な集中力だった。その間、腹が減ったかなにかでコンビニに行くために外へ出たときの、家の裏の路地の真夜中の風景だけが一枚映像として目に焼き付いている。他にはなにひとつ記憶がない。ドラゴンズクラウンの内容もほとんど覚えていない。ゲームとして面白かったのかどうかもよくわからない。とにかく三角帽子の魔女を操っていたようなおぼろげな記憶が残っただけだ。

 禁煙していた人間が一本の煙草をきっかけにまたヘビースモーカーに戻ってしまうようにそれ以来僕はゲームをまたやり始めた。なんなら以前より熱心にやるようになった。

 はたしてこのイベントが僕の人生にとってよいことだったのか悪いことだったのかはまだ判断できていない。確かなのは僕は2012年の6月6日に一度ゲームをやめて2013年7月25日にまたゲームをやり始めたということだけだ。この1年と1か月の間だけ僕はゲームから離れていて、そしてそれ以外の日々をほとんどずっとゲームとともに生活している。